500年の西本願寺派古刹住職が50台の車を器物損壊‼️ #西本願寺 #フジTV元アナ #檀家制度
「元フジテレビアナウンサーの住職、車にキズをつけたとして現行犯逮捕 付近で50件同様の被害」と’19年2月11日神戸新聞が報じた。
「容疑者は、姫路市の善教寺」(浄土真宗本願寺派=お西)「住職 結城思聞」師(元フジテレビアナウンサー松倉悦郎氏)という。
「近くの姫路独協大学から同寺までの約500メートルのエリアでは今月8日以降、約50台の車に同様の傷がつけられる器物損壊事件が相次ぎ」というが、容疑者の身に8日までの間に、何が起こったのだろうか⁉️
1)結城氏といえば関東の名族で、善教寺も、500年続く古刹
(写真は、同寺外観 ホームページから転載)
御本尊の、阿弥陀如来立像も衆生済度の優しさ溢れる素晴らしい御本尊だ。
最近では、次々とお寺が潰れ、ホームページにも、全国で「12,000ヶ寺」が無住寺と書かれている。
葬式もだんだんと簡略化され、“家族葬”が増えただけでなく、葬式もせず、御遺骨は散骨ですませれば “ お墓 ” も要らない。お坊さんにお経をあげてもらう必要もないという遺族が多くなっているようだ。
お寺の住職も必死だろう。
浄土真宗はじめ多くの寺の住職は、毎月の月参りに檀家をまわるのが伝統になっている。ところが、その様子も様変わりしているという。
石川県や福井県、岐阜県、愛知県といった信仰心が篤いことで知られている地域でも、「50年前は、行けばお茶菓子が出て、お布施が5,000円というのも普通にあったが、5,000円が3,000円、1,000円になり、今では、ワンコイン500円。お茶も出ず、鍵が掛かっていて入れない檀家が増えてきた」とお寺さんが嘆く。
40年くらい前の首都圏の住職は、「山門を建て替えなければならなくなった時も、温泉に招待して、檀家総代会をひらき、1億のお布施を募ることを諮り、シャンシャンで決まれば、あとは芸者さん付きで宴会、それで決まりです。」とこともなげに言われた。
「根回しが大事なんですよ。Aさんが3000万円してくれれば、Bさんは2000万円、Cさんは1500万円・・・と、自然と格付けができていて集まるんですよ。それを決めるのは、温泉で裃脱いで、というのが一番ですよ。」
「御仏像は、台湾が安いんですよ。檀家総代を連れて台湾視察に行けば接待尽くしですよ。まあ、その分は請求書に上乗せされてますがね(笑)」
松倉師からすれば夢のような話だろう。500年間続いた古刹を守るストレスは尋常ではなかったろう。 俗に、教員、僧侶、牧師など “ 先生 ” と呼ばれる人は、どうしても綺麗事を口にしなければならないから、市井の人よりもストレスが溜まりやすいのかもしれない。
2)「楽しくなければお寺じゃない!」
何とかしようとして、工夫されたのだろう。
同寺のホームページには「「楽しくなければお寺じゃない!」をキャッチコピーに、法事や葬儀だけでなく、親鸞聖人お誕生を記念しての「ソフトボール大会」や、小規模作業所の人達や小さなお子さんと一緒に聴ける「福祉コンサート」、そして一般の方々への「サロンコンサート」を開催。
毎月第三土曜日に開いている「サロン・ド・アミダ」では、住職の法話と広く各界で活躍されている講師をお招きして講演を行っている。
また二〇一四年に「NPOはりま子どもの未来を守る会」を設立して、夢前町産業廃棄物最終処分場建設反対運動を初め、元プロ野球選手を招いて地域のこどもたちの野球教室を開催したり、現役スポーツ選手による小児病棟の慰問で入院中の子供達を激励するなどの活動をしている。」
と涙ぐましい活動が紹介されている。だが、こうした活動内容は、仏教というよりNPO法人のような活動に思える。
こうした活動が、最近のお寺離れを食い止めることができたのだろうか。松倉師のストレスの原因はその辺にあったのではないだろうか⁉️
それにしても、こうした涙ぐましい努力は、どこのお寺さんでもされている。東大寺の大仏殿でもコンサートが行われている。
がしかし。これでは、もうお寺じゃなくない?という声も聞こえてくる。
3)どうしてお釈迦さんのお話をしないのか⁉️
いま世界の仏教の源流といえば、ヒンズー教のインドよりスリランカやモンゴル、チベットといわれている。その僧侶が嘆いていたという。
「有名観光寺院は、たくさん人が来ているのにどうしてお釈迦さんのお話をしないのか⁉️」と。
それらの仏教国では、常に布施の喜びを説き、毎日托鉢にまわる。「有難う」も言わない。何故なら、布施をした人の功徳が無くなるからという。そして、お釈迦さんの話をする。それが一番喜ばれるという。
その人たちは、来世のために布施をするから、布施した財物が、僧侶の修行(托鉢、説法、座禅、読経、供養、廻向、護摩供、山岳修行、滝行等)清いことにつかわれ、その功徳を頂けることが何よりの喜びなのだという。
4)亡き親も、自分たちも、この世さえ良ければという生き方とは、正反対
日本では、何か大切なものが忘れ去られているところに、松倉師はじめお寺さんのそもそもの考え違いがあって、500年間檀家制度に守られて、托鉢を怠り布施の喜びを説いてこなかったツケが一気にまわってきたとは考えられないだろうか⁉️
松倉師の事件は、日本の仏教界に、とても大切なことを教えているのではないだろうか。