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半世紀近く前に「台湾」の重要性を説き、「台湾」擁護に政治生命をかけた政治家がいた‼️ #台湾 #玉置和郎 #台北法 #米議会

🔷黒子に徹した政治家「玉置和郎」❗️

 

 今でこそ、台湾擁護論はアメリカを中心に日本国内でも高まりつつある。だが、今から約半世紀前、19729月の「日中国交正常化」当時には、鄧小平一辺倒の稲山嘉寛新日鉄社長を中心に、財界は、中国の広大無辺の消費力に目がくらみ、我も我もと中国本土へ殺到していた。

 

 国を守る大局的立場に立つはずの政治家も、与野党問わず「日中国交正常化」で一本化していた。

 

 そのときに、一部の青嵐会メンバー、石原慎太郎渡辺美智雄氏らと共に、ときの政権に与党議員でありながら激しい論戦を挑んで行ったのが玉置和郎参議院議員(のち衆議院に転じ総務庁長官在職中に死去)だった。

 

 「日中平和友好条約」締結(1978/8/127ヶ月半前の質問を以下に引用する。

 

🔷国会議事録から引用(注:中江要介氏は外務省アジア局長)

 

玉置和郎君 そうでしょう。

 だからね、もう一回重ねて聞いておきますがね、台湾というあの地域、それから金門、馬祖、澎湖島、この地域には中華人民共和国統治権が及んでいないということは認めますか。

政府委員(中江要介君) 事実上の問題として、実効支配が及んでいないということは私どもも認めます。

玉置和郎君 そのとおりでありましてね、だから従来の閣議決定の方針、そういうもの(注:台湾との友好関係)は変更しないということは、いま外務大臣から明確にお答えいただきました。どうかそれを踏まえて、日中交渉をしっかりやっていただきたい。

 非常にむつかしい問題です。特に中国が新憲法で台湾の武力解放をうたい上げた。そうして解放軍に武力解放の準備を命じた。このことは五年半前の日中正常化の共同声明を発出した当時と今日とでは大変な違いであるということ、これをやっぱり御認識をしていただかないと、大きな過ちを犯すことになる。

    われわれは当時の閣議決定、そういうものを踏まえて、この日本の安全保障上非常に大事な立場にあるこの中華民国・台湾というものの地勢的立場、これを堅持していこうという考え方でございます、外交関係はなくとも(出典:国会議事録 昭和530328 参議院外務委員会)

 

🔷本当に国を守る政治家には未来がみえるのか⁉️

 

「(2019年)9月25日、米国連邦議会上院外交委員会は、数ヶ月に亘って討議されてきた『台北法』を可決した。これは『台湾の国際的地位を保全し、台湾防衛を確乎として保障し、同盟国にも同様の対応を要求する』という趣旨(の法律)である。

 

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左:コリー・ガードナー上院議員、右:蔡英文台湾総統(出典:2018/6/6 jp.rti.org.tw)

 

 上院外交委員会のアジア太平洋小委員会(コリー・ガードナー(共和党)委員長)が推進の中心的議員だった。『台北法』の正式名は『台湾同盟国際的防衛並びに強化法』で、すでに五月にマルコ・ルビオ上院議員共和党)らが提案してきた。

 また同法は関係諸国に対しても台湾との外交関係の一層の改善と強化を呼びかけ、これを無視、あるいは軽視する国々に対して、国務長官は外交的扱いの低下、あるいは外交関係の停止などを求めることが出来るとする、かなり突っ込んだ台湾防衛となっている。

 現に法案可決前にも、エルサルバドルなど台湾と断交した国から米国大使を引き揚げさせ、先週、台湾と断交したソロモン諸島の副首相訪米では、ペンス副大統領らが面会を拒絶している」(出典:「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」2019/9/27

 

 「台湾」を擁護する権限を行政府に与える強力な法案だ。それだけに、中国にとっては、実にイヤな法案で「内政干渉」と反発することは必至だ。

 

 同法は、10月29日上院本会議で可決され、米下院外交委員会も10月30日、同様の趣旨の法案を可決した。下院本会議での可決後、上下両院の一本化調整を経て、大統領の署名によって成立する。

 

🔷歴史は後の世が語る・・・

 

 40年経ってようやく、一政治家の台湾擁護にかけた主張は結実しつつあるようだ。台湾国民は、中国に同化させられることを潔しとしない民進党蔡英文台湾総統を、歴史的大勝で再選した。

 

 国交が無くなってからも「台湾」との友好議員の集まりである「日華議員懇談会(日華懇)」の中心メンバーであり続け、自民党最高意思決定機関である総務会において連続8時間に及ぶ「台湾擁護」演説をぶったのも党人政治家を自負する玉置和郎ただ一人だった。

 

 また、「亜東関係協会」(≒在日本台湾大使館)の日本側窓口として、来日する台湾関係者を温かく接遇し続けた。台湾関係者からのあらゆる要請に誠実に取り組み、一つ一つ成果を積み上げ、一銭にもならないことに黙々と取り組んでいた姿は、台湾要人だけでなく、政治記者諸氏にも評価されていた。

 

 こうしたことを知る人は少ない。黒子に徹した一政治家の真実は、歴史が証明してゆくのだろうか⁉️

 

以上