「芭蕉」の句、大津市の園児たち死傷事故を悼むよう⁉️
やま路来て なにやらゆかし すみれ草
教科書にも出てくるくらいよく知られた句だ。江戸時代 貞享元年(1684年)『野ざらし紀行』の旅に立った芭蕉は、翌年2月大津に入って来たと言われる。
「この句は、名古屋の有力な弟子・林桐葉の次女 佐与の夭折(ようせつ=年若くして亡くなること)したのを悼んだ句
何とはなしに 何やらゆかし すみれ草
の上(かみ)の五文字を「やま路来て」に改作されたものなのです。」という。(「芭蕉 行く春近江」滋賀県教育委員会の「芭蕉と近江の人びと」文:山村金三郎から引用)
今も事故の現場に行くと、思わず涙ぐんでしまう。それが人間なるものなのだろう。幼な子のたましいに もっとも “そぐわしい” 言葉として芭蕉翁が見出したのが「何やらゆかし」という言葉なのかもしれない。
琵琶湖の湖面はいま春から夏の色に変わろうとしていて、吹きわたる風のなかに、園児たちの笑い声が響くようだ。
あの子たちの御魂に、320年も昔の、芭蕉翁が手向けたかのように・・・。
何とはなしに 何やらゆかし すみれ草
以上